今日のわた誌

決まらないよりはいいと思ったけど、ちょっとアレな気がするブログ名...

子供が欲しいか欲しくないかなんてエゴではないのか

久しぶりに酔っ払ってるので、それこそエゴ丸出しで書くが、親になる自分らが、子供が欲しいと思って産むのはエゴではないのかということだ。

 

本能?それは都合が良いのではないか?子供が二十歳になっても縁は続くのに?

 

自分らが先に生まれてるんだから、今まで嫌なことばかりだった人は私のように考えるし、発展的な人生だったなら後悔はないのだろうね、人が人を産むのは感動的なのかもしれない。お金に不自由な暮らしをしたことがなく育って大人になった人には全く「子供を産まない」という選択肢はなかったかもしれないね。

 

自分らが、その生まれてくる子を全うに、望み通りに、「金銭的」に不自由なく育てられると言うのであれば、それはエゴであってもまぁ構わないのかもしれない。または、その子を自分が産んだ時点で「五体満足」であるならば。多く見積もって、自分の遺伝子に非があるなんて分からなかった場合だ。

 

しかし、「こんな風になるなら産んでくれない方が良かった」と思っている子供の親になるのはどうだ。

 

みんな、考えたことは無いのか。

 

「可愛いから産みたい」とかって、本当今酔っ払ってるからあれだけど、反吐が出る。ばかかと。

 

じゃあ死ぬまで自分を生きさせてね(てへぺろ)って子供に言われてもしかたなくない?ニートだろうがなんだろうがさ。だって自分で産みたくて産んだんだろ、育てる気満々で産んだんだろ?子供は生まれたくなかったかもしれないのに。二十歳になったら手が離れるわ、なんて知るかよ。勝手に産んでおいて勝手に生きろだと?じゃあまず産むなよ。って。二十歳すんだら自分の責任だ、ってわかるわけねーだろ。そんなの分かってたら腹ん中で死んでたかもな。

 

産んだからには、親の責任だろ。

 

子供を産まなければ、その責任も産まれなかったんだから。

 

責任を産んだのは、産んだ者だ。

 

こんなこと書いてるけど、別に両親には恨みはないwこれが愛情なんだろうね(藁ww恨まないが生まれてこられなければ良かったのにとは常時思ってるよ。「産んでくれてありがとう」なんて一度も思ったこと無いよ。全然恨んでないんだけどさ。

 

それは、その時代の「世間体」で「産まなければ変な人」と思われる時代に生きた「親」を「憂いた」んだ。それは、自分としての子供なりの愛情なんじゃないか、と思ってるよ。それは「仕方が無かった」んだ、と、思ってるよ。だって、自分と同じ年齢には親はもう自分を育ててた、プレッシャーというものが、今のその「歳」の自分には分かるから。ただ、今の「時代」はまだ、「産まない」ことに優しい。わかっているからだろう、「子供」がどういう役割か。「必然」か「癒し」か「心配してしまう者」か「重荷」か。「自分を助けてくれる」のか「助けてくれない」のか。助けて欲しいということがエゴかエゴでないかとか?ww

 

子供がかわいそうだと思わずに産む人たちは皆恵まれているんですね、という皮肉をたっぷり含みながら投稿するはwww

 

だって産みたいと言う気持ちが全然分からないからね妊娠適齢期の自分が。子供がこんなこと思ってたらかわいそ過ぎるだろ。結局はどうせこれ。子供の人生が順風満帆と分かってたら産むよ、しかし、なわけないだろ。親がそうじゃないのに子供が順風なわけがない。