潜在意識的に。昨日言ってたことすらも。
結局、潜在意識的には、「こうなりたかったからこうなった」「こうなりたくてこうした」と同じだ。
なので、やっぱ自分は、「不幸な感じで不幸になりたくて不幸そうな昔の体験談を拾って不幸になれた」奴、なんだよね。
不幸そうに見られたかった奴なんだよね。
素面のときに思ってそう感じた。今既に素面じゃないけど。
ここから。
ここからがよく分からなくなる。
開き直るか直らないか、忘れてまたグダグダかしないか。
ああこんなことばっか。
酒飲まなければ、とか思ったり、飲もうが変わらないと思ったり。
いや結局、本当に変わりたいかどうかだよな。
変わりたいなら、変われる。昔の自分どうでもいいってなるでしょ。
けど、昔の自分とも一緒にいたい。そこでもう駄目だ。
「え?昔の自分?忘れちゃった!」くらいがいいんだと思う。
「そう!昔の自分って、こうで、こうで・・・」って哀れんで、「こんな自分かわいそうでしょ、捨てられるわけないじゃん!」
って言ってるから、
捨てられない。
多分そう。
けどさ、じゃあ捨てよー、って捨てられるかって。
完璧!なんて言って、捨てられるかって。
むずい。意識してるさなか既にもう捨てられてない。保持してる。
で、保持しない、手から離れることを皆懇願してて達人に求めるけど、達人は、
「持ってても大丈夫だよ」って言う。
捨てようとしたら、持ってること意識する。
持っててもいいって言われたら、持ってること認識する。
結局持ってんだわ。
忘れたら叶うって、忘れようとしてる時点で持ってる。
もうね、本当に、重きを置いているもの以外に興味が行かないと無理よね。
どの時点で、どうにかできるのか。
そう考えると、もう自分でどうにかできない。
自分が思い出せないときにどうにかなる。
では、どうにかできないときにどうにかなる。
どうにかしようと思うときに、どうにもならないから、どうにもするな。
そういうことだ。
どうにかしたいときには、どうにもならないから、そのどうにかしたいことに、どうにかしようとせず、別の切羽詰ってないことを、楽しめ。
多分、そういうことだ。
切羽詰ってる、と思ってることすら、実は大したことないから、楽しそうと思うことを楽しめばいいということ。
そこよね、むずいのって。
考えちゃうもの、どうにかしたいこと。
けど、どうにかしたいもの、かんがえなくても、寧ろ考えなくてもいいんだ。
そうしても、多分いいんだ。
そうした方が、多分いいんだと思う。多分。
けど、そうしてもいいのに、考えても良いのに、考えてもいいからって考えて、叶わない。
なんか、詰まってる人ってそうなの。そうじゃないと叶ってるでしょ皆。
考えてもいい、も、考えなくてもいい、も、考えちゃうじゃない。
それ。それがもうだめ。
もうお前の「願い」が「願い」である時点で叶いません。
それだ。
それを達人が言っている。
ここからが難しい。
願いではないように、現実であるように、それがなかなか。