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今日のわた誌

決まらないよりはいいと思ったけど、ちょっとアレな気がするブログ名...

自称コミュ障の行動について Ⅰ

Ⅰ、と付けたのは、もしかしたら思い出して続けるかもしれないからです、わかりません。

 

①.私は小さなまちに住んでいます。

 私は夏はチャリ、冬は徒歩通勤です。

 通勤時、通り過ぎる車を見ません。

 何度も見る可能性があり、何度も挨拶しなければならないのか、わからないからです。

 明らかな商業車で、そこに勤めている同級生かもしれない可能性があれば、横目で見ます。

 それなりに見て、そうだと思ったら手を振ります。

 なんとなく、知ってる人かもしれない車でも、見ません。

 知ってる人じゃないかもしれないし、万一手を振っても返してくれないかもしれないからです。

 その虚しさが、嫌いです。

 

②職場で、なるべく、すれ違う人の顔を見ません。

 何も話す話題が無いからです。

 多少は、係わっている人でも、通り過ぎる人に何を言えばわかりません。

 これはもしかしたら、誰でもそうなのかもしれません。

 なので、それなりに係わらなければならない人には、通り過ぎるとき、

 軽い笑顔になるか、「うふっ」と極小さな声で言います。

 どうすればいいかわからないからです。

 

③職場で、中途半端に離れている人の話に加わりません。

 きちんと聞こえないし、何か言える距離ではないからです。

 しかし、距離内の人たちは騒いでいます。

 なので、聞こえているけど、聞こえてない振りをします。

 でないと、「聞こえてるなら入ってこいよ」と思われそうだからです。 

 

私の今の話は、私が書いている文章の中では、私が正しいのかもしれません。

ただ、私ではない人で、もっと社交的な人なら、

もう少し楽しく、上手くやれるのかもしれません。

 

それがいつも苦になって、上手くやれる人から見たら、

私が上手くやってる人たちを拒否しているように見えるのだろうなと、

それが凄く苦痛です。

 

でもわからないんです。

そのタイミングで入っていって「うわ~邪魔」と思われるかもしれないと思うと。

 

私は中学の頃結構思ってました。

「今、こういうグループの話題で盛り上がってるんだから、

あんたみたいな属性の人が加わってくると面白くないだろ。

だから、入ってくるな。」と、

だから、その属性じゃない私が入ると、邪魔ではないかと思ってしまい、入れません。

 

③職場で、暇な同士の人が雑談しているのが許せません

 私は、私が持ってる物で雑談が出来る人が職場にいる気がしないし、

 そもそも職場のその人が暇なのか分からないからです。

 しかし、そういう人たちが近くにいます。

 私も、誰が暇か分かれば、ずっと話してお金を貰ってても良いのですね。

 けれど、私にはタイトルのように対人関係の障害があると思われるので、

 話して良いのかわからないんです。

 なのに、上手いように、うまく動く人がいて、その人のほうが使えるように見える。

 目の前に、自分と同じような人がいるからなんだろうが。

 

 私はただ、「動かなければならない」ときに動き、

 「動かなくてもいい」時にはただただ、動かない。

 必要ではないと思っているから。

 必要に思えないことに、会社の需要費を使いたくない。

 それが「「使えない」と思われているだろう」と思う」ことに気が滅入っている。

 

 「動かなくてもいいときは、動かなくてもいいのに楽しく動き」、

 「動いた方がいいときは、動いた方がいいときのように動く」。

 そういう人を見て、私はイライラする。

 

 いいとこ取りを許されているから。

 私とは違う課にいるけれど、違うけれど、違わないような、

 濁しますけど、そういうところにいるから、あの人が自由に見えて凄く嫌だ。

 

 私のときはこうだったのに、あの人のときはこうだった。

 

 これに日々イライラしている。

 課が違っても、これらは同じだろうと思うことがあるからだ。

 

とりあえず後述あれば、また。