「自分というもの」の表現をしなくても、もうどうでも良いんじゃないか、のような
て今、タイトル書いて「厨二ぽ!」と思ったwww
いようがいまいが
いてもいなくても
う~ん
ブログに対して、足掻いてない状態。
「こういう状態だけど、なんで私を認めてくれないのー!!!」
とか、
「自分が書いた感想から、面白いものを見出してくれたり、助けになればいいな」
から、ここに書く気力があったんだけれど。
「存在しようがしまいが、だれもかわらない」
というような、気力の無い、けどエゴには普通の人間相応襲われているわけで。
生きてます。
ただ生きてます。
昨日テレビで
「生きてる”価値”のように思うその”価値”を、
手術によって失い”生の価値を選ぶ”か、死を選ぶか」で、その人は”生”を選んだ。
私はそれを辛い決断だっただろうと嘆いた。
その人なら、生も、その価値も、「同等」に思えるから。
私なら、天秤にかける対象が「タヒねばいい」と思ってない限り、自分がタヒぬ。
でも、「あいつが生きてるなら、私が生きていたい」でもないかな。
自分の命と、世界から居なくなったほうが幸せになりそうな誰か一人と一緒、かな。
「生きたがってる人もいる」なんていうならくれてやる。
嫌いで食べ残したものを、「食べられない人もいるんだから」のような呪縛。
食べられない人は、自分が食べれば食べた状態になるのか、みたいなねwww