蚊帳の外の傍観者ならまだ良かった
今日も飲み会だったわけですが、そして本当に2次会行かず帰ればよかったんですが、付き合いね・・・。
しかしね、なんでこんなに飲み会が楽しめない人になったのかね。
疲れた。落ち込んだ。
私を含んでくれる、けれど、何も気の利いた受け答えも出来ないし、何しろ、自分以外環境が違うから、話を聞いていても楽しく聞けない。
ところどころ、意図していないんだろうが、私の負い目を突いてくる。悪気が無いのは分かる。私が特殊な環境だからだ。みんなと環境であれば同意できただろう。
ただ他人に興味がないだけだ。けれど、興味がなくて何が悪い。
他人に興味がある人は良くて、無い人は悪い。これは私の中にあるレッテルか。
ああそうか。似たような歳の人たちの集まりなのに少し浮いてるのが嫌なんだ。全然年上ばかりの、自分なんか蚊帳の外だった数年前のほうが気楽だったのは、自分には何も期待されていないと思えたからだ。
自分の趣味の話は分かる人がいたから話せた。職場の愚痴も話しやすい人には話せる。そうじゃなかったから、ただ愛想笑いしか出来なかった。それでも良いとあの場の人たちに許されたかった、だ。少し浮いていて、誰かに「帰れば良いのに」と思われていたかもしれないけれど、「帰る」と言ったのに建前上みんなで呼び止めたのだから、帰れば良いのになんて思わないで欲しい、とか。はいそれセドナ、か。
ああ疲れる。二日酔いにならないようにお茶飲んでたら、酔いは覚めたが眠気も来ない。
私はこんな環境だから自律神経おかしくなったんだー!と言ってやりたかったが、どうせ言ってもスッキリしなさそうだったのでやめた。愚痴を言ってスッキリしたいのは山々だが、なんかどうせ私の特殊な環境だから大した同意も得られないしと、やっと先月あたりから諦めがついてきた。どうにかしたい、どうにかしてもらいたいと思うのだけれども。はいこれもセドナ~。寝なきゃ。誰かに心から同意されたいだけなのに。されたいけれど、言って頷かれたところで「どうせ分かるわけないだろ違った環境なんだから」って自分で思っちゃう。堂々巡り。疲れる。だから自愛なんだろうが、自分に許されても・・・というのが出てきちゃって上手く許せた気がしない。あーもー自分ばかり不幸だ!というスパイラルに落ちそうだから横になりながらセドナる。これが「自分は不幸だと考えたいから、考えられておめでとうございます」状態なんだろうな。おーあーるぜっと。